卸売市場流通についての諸問題

市場流通ジャーナリスト浅沼進の記事です

良い年を過ごすために

卸売市場業界にとって、今年は文字通り、歴史的な転換期となりました。
10大ニュース風に言えば、間違いなく一位は、2018年6月22日に制定・公布された改正卸売市場法となるでしょう。

10月には、政省令と食品等流通合理化促進法が公布、即日施行されました。
新しい年号となる2019年12月から卸売市場の認定申請の受付が始まり、2020年6月から新卸売市場法に基づく政策が施行されます。

改正市場法の内容については省略しますが、これまで何度も言われてきた「歴史的な転換期」の始まりであることは間違いありません。

「卸売市場法の改正」ではなく、「改正卸売市場法という名の新・卸売市場法」です。

市場法が変わっても現実の流通が大きく変わることはない、という見方もあります。

実際、国による卸売市場政策が初めて出された大正12年の中央卸売市場法制定時や、現行卸売市場法が制定された昭和46年の時もすぐに市場流通が激変したわけではありません。
中央卸売市場法が制定された4年後の昭和2年に初めての中央市場が開設されています。

そうした意味で言えば、今回も同じことが言えるかもしれませんが、すぐに出てくる変化を一つあげるとすると「地方卸売市場」の減少です。

現在、青果、水産、花の地方卸売市場は約千ありますが、2020年6月の新卸売市場法が施行される時点で、おそらく100の単位で減るだろうと思います。

その根拠は次の点です。

第一は「地方卸売市場」の名称を取得するためのハードルが、零細規模の市場にとっては、かなり厳しいからです。内容は説明しませんが、公設、民設を通して全ての市場に義務つけられる共通ルールや開設者機能をクリアするには新しいコストが発生しますし、そうしたコストを負担する余裕がない市場も多くあります。

第二は、そうしたコスト負担に比較して「地方卸売市場」の名称を取得するメリットが実感できないことです。
実際の市場運営で、地方卸売市場の名称を使用していない民営市場も数多くあります。

そして第三の理由が、国の政策が全ての市場を法の網で規制・管理しようという方針から法による規制の原則廃止に転換することです。

昭和46年の卸売市場法は許可制が原則ですが、実際は一定規模以上の民営市場は全て「卸売市場」としての名称を与えることで法の網をかぶせましたので、全国で数千の「卸売市場」が誕生したのです。

「市場を作りすぎた」と言われていますが、数千の卸売市場を行政がつくったのではなく、行政がつくったのは、ピーク時91の中央市場と百数十の公設地方市場に限ってのことです。

昭和46年時は、既存民営市場に対して各地方自治体が、許可という形で地方卸売市場をつくったのに対し、今回は市場が申請して初めて認定する「自主性(自己責任)」を導入することで卸売市場の再編が図られます。

この方向が良いか悪いかは後の歴史が評価することになりますが、全ての社会現象は良い面と悪い面が一体ですので、地方卸売市場の減少がそのまま「卸売市場の壊滅」にはなりません。

私は好きではありませんが「ビジネスチャンス」(日本語では弱肉強食と言います)は広がります。それが国の狙いでもありますから。

私ごときの好き嫌いで歴史が動くわけはありません。

第一次産業への規制緩和・市場主義経済導入促進につづいて、生鮮食料品の受け皿となってきた市場流通の制度改革によって、1923年の中央卸売市場法制定以来続けてきた行政主体による食品流通システムを、生鮮と食品を一体化することによる民間主体の食品流通効率化・市場主義経済に開放する歴史的な食料政策の転換です。

弱肉強食と言いましたが、生鮮市場、第一次産業は「弱肉」ではありません。「魅力的な肉」です。優位性は十分にあります。あるからこそ「強食」のターゲットになるわけですが、老いたライオンは必ずしも怖い存在ではありません。

国の政策の変化の中で、自らの立ち位置を考え実行することが求められています。
難しい時代を迎えます。