卸売市場流通についての諸問題

市場流通ジャーナリスト浅沼進の記事です

私の好きな美術館−その3大原美術館

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野付半島(写真)三上市太郎

好きな美術館に優劣はない

しかし、いつでも何回でも行きたい美術館として、まず頭に浮かぶのが岡山県倉敷市の大原美術館である。

規模的には東京の美術館やMOA美術館の方が大きいし、個人的には画家個人の記念館の方が好きである。しかし大原美術館は楽しい、1日中でも過ごせる、過ごしたい場所である。

美術館が楽しいのは作品だけではなく施設や周辺環境も大きな要素である。上野の美術館は上野に位置していることが大きな魅力であるのと同じように、「美観地区」にある大原美術館は倉敷市の中の一つの文化施設ではなく、美観都市としての倉敷市の象徴である。

倉敷にチボリ公園はいらない

近年、この文化都市に経済発展を加味しようと、倉敷駅北口に「チボリ公園」のテーマパークを開いたが結局失敗、今はイオンSCや三井アウトレットパークになっている。

チボリ公園ができた直後にたまたま行ったが、こんな施設ができたのだ、と思っただけである。入口付近をウロウロしただけ反対側の美観地区に行った。

大原美術館に行きたい観光客はテーマパークには関心を示さず、テーマパークだけで観光客を集めるほどの魅力はなかったのではないだろうか。

紡績工場跡地にテーマパークを作るのは創業者の意を汲んでいないのではないか、今のままの美観都市、美観地区を柱にした都市づくりをやってほしいと、後付けで言うなら誰もができるが上から目線の感想である。

倉敷は街全体が美観都市である

クラボウは地域の基幹産業というには広域になりすぎて、クラボウ本社は大阪に、クラレは東京が本社だが、幸い倉敷にはクラボウ関連の土地・施設が多く、愛知県豊田市と違って、今も文化都市を支える企業であり城下町である。

クラボウが経営するアイビースクエアも素晴らしい文化施設のホテルがあり宿泊費もそれほど高くない。美観地区の先にある倉敷市役所も「できた時はラブホテルではないかとの声もあった」そうだが、そんなことはない、美観都市にふさわしい施設である。

用もないのに中でケーキを食べた。大原美術館にある喫茶店「エル・グレコ」も、この名前では入らないわけにいかず、お腹いっぱいになった。

収集する目とドラえもん財布で出来た大原美術館

よく知られているように倉敷は「倉敷紡績」(現在のクラボウ)創業の地であり、プロテスタントであった大原孫三郎が事業利益の社会還元の一つとして。画家の児島虎次郎に美術品を委託収集し大原美術館を開いた。

収集する目とドラえもん財布があればうまくいかないわけがない。お金だけ出して収集は全て画家が行った成果が今に繋がっている。中でも大原美術館の名を一気に高めたのがエル・グレコの「受胎告知」で、全権委任されていた児島もさすがに使える予算をはるかに超える金額で大原に了解を求めたことが伝えられている。

私のような邪な心を持つ人間は大原がすんなりとOKしたのだろうか、いくらだろうと今も奇跡と言われるこの作品を所蔵していることで、もう元は取ったのではないかなど妄想してしまう。この作品は本館二階の特別コーナーに展示されていて、この作品だけのために職員一人が座っている。

後継者である大原総一郎は、親交のあった陶芸家等の支援という目的もあったのだろうが大原家の土蔵を改築し工芸・東洋館を開館した。浜田庄司やバーナード・リーチ、富本憲吉、河井寛次郎の陶芸がずらりと並び、床はギシギシと鳴る。土蔵の中を強調する演出ではないだろうか。棟方志功の木版画(志功は「板画」と言った)も一室に並び圧巻である。

一日中出入りできる美術館

チケットがなくとも敷地内に入ることができる美術館は珍しいと思う。本館、別館、工芸館の間にある庭「新渓園」には誰もが入ることができる。通り抜ける住民もいる。
新渓園は和風庭園でマイヨールやノグチイサムの彫刻がある。

チケットは三つの館に入場する時に必要なだけで、本館だけ見て外で食事した後に他の二館を見てもいいし、一度に入らなくとも日を改めて入ってもいい。そう言われるだけでうれしくなる。

画家がドラえもんの財布を持って収集しただけに誰もが知っている名画が並ぶ、西洋絵画中心に日本の画家を含めて私程度の一般人が知っている画家は全てあるだろう。

涙もろくなる「陽が死んだ日」

その中で、歳をとったせいか、見るたびに涙が出そうになる絵が別館にある熊谷守一の「陽が死んだ日」である。貧窮にあった熊谷の次男が幼くして病死した時に、死の床に横たわる陽を荒々しいタッチで油絵の具を叩きつけるようにして描いている。

絵画の哲学者ともいうべき熊谷守一美術館は、東京豊島区の千川駅から15分ほど歩いた住宅街にある。熊谷が晩年、数十年間一歩も外に出ず庭の昆虫や植物を描いていた自宅を次女で画家の榧(かや)氏がそのまま美術館にして今は豊島区立である。

「陽が死んだ日」の絵こそ熊谷美術館にあるべきだと思ったが、大原総一郎は熊谷守一と親交があったようだから経済支援として購入したのだろうと思う。残念だが住宅街の中の分かりにくい場所にある小さな美術館よりも倉敷で多くの人に観賞してもらった方がいいのかとも思う。

日経新聞に連載した「下手も絵のうち」文庫本が本棚の何処かにある。面白く読んだ。
行ったことはないが、熊谷守一の生まれ故郷である岐阜県中津川市付知町に「熊谷守一つけち記念館」がある。

永井荷風は、文化勲章を押し入れに放り込んだままで死後「発見」されたが、熊谷守一はそんな下品なことはしない。文化勲章はきちんと辞退している。