卸売市場流通についての諸問題

市場流通ジャーナリスト浅沼進の記事です

地方市場の活性化に向けて〜石巻青果 菊地社長に聞く

(全国青果卸売市場協会会報「全青協」より転載)

コロナ禍の4年は、第一次産業の重要性を改めて認識させることになった。
卸売市場もまたインフラ機能(社会資産としての公共性)を担う重要な社会的位置を占めることになった。
人口減と高齢化、そして地球温暖化の下で迎えた「物流の24年問題」に対し、市場流通はどのように変化するのか、どのような経営を目指していくのだろうか。

公設市場から民営化した市場の成功事例として知られる「石巻青果花き地方卸売市場」の開設者でもある株式会社石巻青果を訪ね菊地和彦社長にインタビューした。

菊地 和彦 社長

―2022年、令和4年にコロナ禍の中で社長に就任され、ようやくコロナ禍を過ぎようとしています。社長就任後の2年間を改めて振り返っていかがでしょうか。

菊地=石巻青果の今日を築かれた近江前社長(現相談役)から引き継ぎ、2年間が過ぎました。
幸い、近江相談役をはじめ今までの仲間がそのまま一緒ですから、あっという間でした。
最初の一年は順調でした。
全国的にも共通していますが、コロナによって業務用の需要や納めは減りました。
一方、外食ができなくなったことで内食が増え、スーパー、量販店向けの販売が伸びました。また経費面でも対面の自粛によって出張等が難しくなり、これがコスト面でのプラスになりました。

しかし、5年度は上半期が苦戦しました。
北海道や青森の産地が猛暑で、とうもろこし、ブロッコリー、玉ねぎ等が打撃を受け、2月末現在は昨年比で若干落ちており3月でようやく昨年並みに届く見込みです。

公設から移転民営化への取り組みが躍進の原動力に

―石巻青果が伸びたのは石巻市公設地方市場から東松島市の現在地に移転し民営化されたことがきっかけだと思います。公設市場から民営化したことによって伸びた理由はなんでしょうか。

菊地=民営化は伸びた理由の一つでしかありません。
石巻青果として目指していた方針は、あくまで石巻市公設地方卸売市場としての再整備でした。
現在地再整備か移転再整備かをめぐり、石巻市の財政負担や市長交代等によって、方針が何度も変わり、結局、公設による市場整備は現在地、移転ともに難しくなったことで、平成17年に開設権を石巻市から石巻青果に譲渡され、長岡、伊勢崎に次いで3番目の民設民営市場「石巻青果花き地方卸売市場」としてスタートすることになりました。

物流施設の重要性とコスト負担

それでもなお再整備をめぐって、市場用地、施設の譲渡について石巻市と方針がまとまらず、再び、現在地、石巻市内への移転がともに困難となりました。
そこに東松島市の地権者の皆様から誘致を受け、2022年1月に石巻港インターから数分という好立地の現在地に移転することができました。
昭和63年に市場移転の陳情書が出されてから平成22年に移転するまで、実に22年間かかりました。その間、現在地再整備や移転整備と目まぐるしく動く中で、民設民営による移転新市場という決断をされた第七代近江恵一社長によって、ようやく実現できました。 
こうした、自分たちの力で作り上げた市場であるという全従業員の悲願達成による新市場実現が、その後の発展の原動力であったと思います。

低コストで物流中心の施設、立地を活かした広域集散機能

―石巻青果の躍進の原動力となった新市場ですが、石巻青果といえば、まず思い浮かぶのが卸売棟と物流棟に分け、その中央にトラック2台が積み下ろしできる20メートル通路を配置した物流機能中心の施設整備です。
この考え方は福岡新青果市場や新筑豊青果市場などに導入され、現在は青果、水産を問わず全国の市場整備におけるスタンダードな方針になっています。こうした発想はどこから生まれたものでしょうか。

三陸沿岸道を活かした広域集散市場機能めざす

菊地=新市場の最大の特徴は三陸自動車道石巻港インターから車で約1分の立地であること、および市場用地が7万2千㎡と広く、まだまだ拡張可能であるということです。
この特徴を活かすための移転ですから、施設面でも物流機能を最大限に活かすことを目指した結果です。

三陸沿岸道は2021年(令和3年)に全線開通し、仙台を起点に、釜石、宮古、久慈を経て青森八戸まで通じる宮城と青森を結ぶ基幹道路です。
そうした市場を取り巻く状況を活かすための市場はどうあるべきかを考え、雨天や降雪時にも荷受・分荷・荷捌までの流れを効率よく行うこと、そして鮮度維持のための3温度帯管理にすることをベースにした施設としました。

施設は卸売棟と物流棟に分離し、中央部は27㍍×33㍍の通路です。3車線で左右に荷降ろしができます。また元々の土地勾配を活用し、中央通路はフラットで物流棟出口は高床式になっています。
そうした機能を活かした市場施設、アクセスの良さ、敷地面積の広さなどを多くの人に見てもらおうと、従業員全員が出荷者や買出人に対し、自分たちの作った市場を一度見てほしいと訴えて回ったことが伸びた最大の要因だと思います。

200億円規模の市場を20億円で整備

―自分たちが考え、つくった市場だと従業員が胸を張っていえることが民営化の大きなメリットでもあるのですね。
石巻青果花き地方卸売市場は、物流機能中心の施設であることに加え、あまり知られていないのですが市場整備費の安さも大きな特徴です。私も聞いた時はびっくりしました。

菊地=市場用地は現在7万3千㎡ですが開場時は6万2千㎡でした。この土地に1万2千㎡の施設を建て、土地代が2.5億円、造成費プラス上物がセットで15億円でした。コンサル費なども含めた総事業費は22億円です。全て自己資金で補助金はありません。公設市場時代に再整備費用として想定されていた金額は55億以上、60億円近い数字だったと思います。
公設市場は4万㎡でしたが、当時は他の公設市場でもそれくらいの事業費が相場だと聞いていましたので、ずいぶん安く出来たと言われました。
完成時に来て頂いた農水省の武田食品流通課長からは「市場施設としては、これで十分だ」と言われたことを覚えています。
当時の近江社長のご苦労は大変だったと思います。市場の健全経営が維持されているのは、この低コストの建設費と屋上部分を太陽光発電業者に貸す等の施設の有効利用が大きな要因です。

物流の24年問題と県内市場の連携

― 今年は物流の24年問題がスタートする年でもあります。
宮城県の青果市場は仙台中央市場と青果地方市場が6市場ありますが、仙台あおば青果と石巻青果が突出しています。宮城県の市場流通はどのように対応し変わっていくのでしょうか。

菊地=今日も茨城の産地と運送会社を交えて検討していますが、24年問題は石巻青果にとっても、また、宮城県内外の青果流通にとっても重要な課題です。
西の産地は中継地点も確保も必要になってくるだろうと思います。主要な産地ごとの集荷体制を検討しています。
宮城県内の地方市場の多くは、規模は小さいですが、それぞれ優良産地にバランスよくあり、多くは健全経営されています。
物流の24年問題に対する対応は、物流の検討ではなく、これからの市場の生き方についての検討だと思っています。そのためにも、仙台あおば青果と5つの地方市場の協力が不可欠です

「卸売」だけではないヒト・モノ・情報が集まる市場に

菊地=気候変動と各地の天災など世界的に食料自給率の課題が見直され、第一次産業の再評価が行われています。
宮城県はコメの算出額が700億円に対し野菜は300億円と少ないのですが、宮城県もJAと連携し園芸作物の倍増計画に取り組んでいます。
幸い、石巻青果は石巻市や東松島市、いしのまき農協等からも出資をいただいており、宮城県民に対する公共的な役割・責務があると自覚しています。

私たち石巻青果は開場以来、生産者と消費者の架け橋になることを理念としています。
東日本大震災の際も食の流通を止めることなく消費者に届けることの重要性を再認識しました。
新市場の持つ敷地面積の広さとアクセスの良さを活かすために新市場は「卸売」だけにとどまらず、たくさんのヒト・モノ・情報が集まる市場にしたいと思っていました。そうした石巻青果としての思いを実現するために今後も頑張っていきたいと思っています。

取材を終えて

コロナ禍の影響で久しぶりの取材となったが、用地も拡張され、石巻市内に5店舗を展開するスーパー「あいのや」の物流センターができていた。周辺の土地はまだ余裕があり、こうした取引先との関係を密にする新たな取り組みも進んでいるようだ。

公設市場の民営化にいくつか関わるようになって施設整備に関心を持つようになった。
いろいろな意味で特別だった東京豊洲の6千億円を別にしても、中央市場は数百億円、中規模の公設地方市場でも100億円規模の事業費が普通だと思っていた。
ところが200億円を扱う大型市場の石巻市場は、6万2千㎡の土地に1万2千㎡の施設を建て、土地プラス上物がセットで15億円である。衝撃であった。

活性化のためには物流はじめ施設整備が必要だが、その施設整備によって卸経営が苦しくなるのでは本末転倒である。低コストの建設と施設の有効利用はもっと、公設市場においても重視されるべき課題ではないだろうか。

言うまでもなく公設市場の事業費は、基本は市場業者の使用料によって償還され運営される。「公設」と「民設」のメリット・デメリットは何か。PPP/PFIは、まだまだ改善される余地があるのではないだろうか。そうしたこと改めて感じた。

菊地社長は昭和38年、石巻生まれの石巻育ち。
学生時代の石巻市場でのアルバイトが縁で入社。
蔬菜中心に育ち産地の信頼もあつい。石巻青果の今日を築いた近江恵一氏の後を受けてコロナ禍で就任し、取締役相談役となった近江氏の助言を受けつつ難局の舵をとる。幸い、役員は若く、お互いに言いたいことを言う社風も受け継がれている。
菊池社長は、歴史小説、それも戦国時代より平安時代等の歴史物を好むが、ひとときの安らぎとしての活力剤だろう。
好漢60歳。

石巻青果花き地方卸売市場

市場中央部は20メートルの通路。左は卸売棟、右は物流棟

物流棟は3温度帯で管理されている