京都中央市場水産棟の整備が完了した。
令和3年の鮮魚部門に続き塩干部門が令和5年3月に完成、引き続き青果部の整備に入る。
塩干部門は鮮魚部門に比べると規模は小さいが、売場に独特の工夫があり、塩干仲卸組合と京都市の協力で「売り場のあり方」と「組合運営と組合財政」の面で最先端の取り組みをおこなっている。
詳しいことは別に紹介し、今回は主に「見学者コース」を紹介しよう。
言い方に語弊はあるが、水産棟の完成よりも全国市場関係者の話題となったのが見学者コースである。
この見学者コースは、1億5千万円をかけ展示の多くが映像化されている。
市財政破綻が危ぶまれている中での完成だけに、費用対効果はどうなのか等、いっそう注目を集める結果となっている。
4月1日に開放した見学者コースを写真で案内する。
一部、見学者コースに移動することも検討されているようだ。
京都市場は大正12年に中央市場法ができ全国で初めて昭和2年に開設された。
「中央卸売市場の嚆矢」の額は農商務省参与官土岐章氏筆によるもの。
「嚆矢(こうし)」とは中国で合戦を始めるときに敵陣に向かって矢を放ち叫ぶ(嚆)ことからきている。物事の始まり。
国が全面に出て食品流通を始めた第一号市場であり、国の意気込みがわかる。
大野氏は高知県出身で京都中央市場の初代場長を務めた後、故郷の高知に戻った。
京都に続き昭和4年、全国2番目の中央市場となった高知市中央市場開設に尽力し、昭和16年に高知市長となった。
大正14年(1925年)6月2日。野田卯太郎 商工大臣名による市場開設認可書。2年後の昭和2年に開設された。
文面は以下の通り。「大正14年2月28日附市第9號を以って申請に係る中央卸売市場開設の件認可す但し業務規程に付ては追って指令する義と心得べし」
漢字とカタカナで句読点は全くない。行政文書の歴史的な変化も面白いと思う。
嵯峨野線で京都駅の次が「梅小路京都西」駅である。駅名は長いが2分もかからず着く。
次の「丹波口」に降りると青果棟入り口である。梅小路から丹波口も2分かからない。
梅小路公園と鉄道博物館の便を良くするためで、市場のために作られた駅ではない。
京都市場はJ R高架下に沿った二つの駅の間にあり、細長く数百メートル続く。
いちおう入り口はあるが、市場には数十ヶ所から入ることができる。
青果と水産で降りる駅が違う珍しい市場である。
左は回転寿司の「朱雀すし市場」仲卸組合とすし組合の協力で実現した。
昼時は行列ができる人気スポットである。
駅からホテル〜市場と直結している。ホテルの場所は水産の事務所棟だった。市場とコラボでイベントなど開催される。
躯体部分を活用し閉鎖型施設に転換した。事業費は160億円。
トラックは10トン車以上でも入る。シャッターの中は卸売場の前室である。
右側が約20㎡の仲卸店舗でその前が仲卸売場、さらに左がピッキング等の作業場で搬出口となる。
コンパクトで機能的であり、仲卸売場として最適だろう。
階段を上るとこの空間が出迎える。奥が入り口である。
見学コースのスタートである。薄暗くて映画館の雰囲気。カップルには喜ばれるかもしれないが高齢者にはよく見えない。
「the Food Culture of Kyoto」の文字が見える。
見学者通路とは思えない。尾形光琳の図柄を思わせる。
照明を若干落としてあって雰囲気はある。
市場の役割や機能を丁寧に読んでくれる人は少ないだろうから、これで良いのかもしれない。
日本地図が電子パネルになっていて各地の魚の分布が分かる。
市場における1日の作業が映像になっており、時系列的に見える。
立体感があり、このポーズで写真を撮るとマグロの一本釣りができる。
竿が小さすぎてマグロは釣れないだろう。
卸売場は早く終了するので、時系列で卸売場の様子が映像化される。
買参人から申請があれば「とっておき旬の店」の登録を行う。
登録されると、この暖簾をかけることができる。