卸売市場流通についての諸問題

市場流通ジャーナリスト浅沼進の記事です

規制緩和と市場主義経済−コロナウイルスと食料安保5

f:id:chorakuan:20200622145118j:plain

漁業の活性化は食料安保に貢献する(小田原漁港・定置網)

食料安全保障と食料自給率について検討してきたが、国が目指す食料安保政策と密接な関係にあるのが市場主義経済の推進と、これに伴う規制緩和の政策、種子法廃止や種苗法改正案、さらにJ A全農改革や卸売市場法・漁業法の改正など全てこの規制緩和路線を目指す政策である。最後に、こうした歴史的な経緯を振り返りまとめとする。

食料安保に関する行政関与

大正12年に制定された中央卸売市場法によって、卸売市場は行政関与の下に発展してきた。生鮮食料品の流通については四日市、五日市、八日市などの地名が今も残っているように、市民生活を支えてきた制度である。

日本で最も早く開設された京都市中央卸売市場の再整備にあたって、義務つけられている発掘調査で同じ場所に我が国最古の市場である平安時代の東西市が存在したことが証明されたが、明らかになっているだけで千年以上の歴史を有している。

古くから個人・民間に委ねられてきた食品流通に対し、時の権力が食料安全保障政策として介入してきた。織田信長の楽市楽座や江戸時代の魚市場、米屋等の問屋株制度で一大隆盛期を迎えたように、流通における民間事業と行政との関わりは古くから続き、そのなかでサプライチェーンマネジメント(SCM)が形成されてきた。

規制緩和をめぐる歴史的経緯

1.自由主義経済の流れ

市場経済をどのように管理・発展させていくかは「神の見えざる手」に任せるべきだとするアダムスミスの古典的市場主義からの長い歴史がある。その世界的な流れを簡単に箇条書きで並べてみる。

  1. 古典的市場主義の破たん、1929~1933年 世界大恐慌によって古典的市場主義が破たんした。古典的市場主義とは=1800年代の産業革命以降の基本的思想。アダムスミス国富論「神の見えざる手」(1776年)レッセフェール(自由放任)
  2. 1936年(昭和11年)「自由放任の終焉」ケインズ ケインズ経済学=不均衡の是正、不安定解消には政府の市場介入が必要
  3. 1970年代末~ケインズ批判 市場主義の復権=自由主義経済 
  4. サッチャー登場(1925年〜2013年)サッチャリズムとハイエク ケインズの論敵として名高いフリードリッヒ・フォン・ハイエクの経済思想を信奉。ハイエクのケインズ批判。「知的驕慢」「理性の乱用」=計画経済は必然的に人間の自由をむしばんでいく。人間の理性には限界があるから市場の管理・制御といった不可能なことはやめるべき=「相対的市場主義」
  5. ケインズ批判の継承 ミルトン・フリードマン フリードマンの思想によりレーガン・ブッシュの共和党政権の市場主義経済導入。ケインズ経済学は政府の肥大化を招く元凶として「小さな政府」を提唱。
  6. 市場主義経済に至る背景 社会主義の崩壊
    1966年文化大革命
    1976年ソビエトのアフガン侵攻
    1989年ベルリンの壁崩壊
    1991年ソビエト連邦解体
  7. 1979年 サッチャー政権発足 新自由主義 電話・ガス・空港・航空・水道などの国有企業の民営化や規制緩和、金融システム改革を掲げ、所得税・法人税の大幅な税率引き下げを実施する一方消費税を8%から15%に引き上げる方針など小泉、安倍政権のモデルにもなった政策を推進。
  8. 1981年 レーガン政権発足 英国から米国へ 市場主義経済による米国主導型グローバリズム

    1988年 父ブッシュ(J・ブッシュ)政権

    1992年 クリントン政権

    2001年 子ブッシュ政権

    2009年 オバマ政権

    2017年 トランプ政権

2.自由主義経済の日本波及

 日本 1987年~1990年バブル経済期
 1991年3月から始まった平成不況
 1993年細川連立政権 38年間続いた自民党1党支配の終焉。8カ月で退陣
 羽田政権も2か月。村山~橋本~小渕~森 2000年政界再編成へ
 1994年(平成6年)細川連立政権「経済改革研究会報告書」(平岩レポート
 「経済的規制は原則自由に、社会的規制は自己責任を原則に最小限に」
 (具体的課題)(基本的な狙いは市場原理・競争原理の回復)

  1. 需給調整の観点から行われている参入規制、設備規制、輸入規制、価格規制はできるだけ早い時期に廃止
  2. 独占禁止法の厳正適用。再販制、適用除外カルテルは5年以内に廃止
  3. 流通などの非効率産業分野の規制緩和による内外価格差の縮小
  4. 農業における生産、流通の規制緩和による市場メカニズムの活用
  5. 輸入関連の規制緩和による輸入拡大  平成25年1月〜平成28年7月

平岩レポートの背景

  • 1989(平成元年)日米構造協議 バブル景気の崩壊
  • 日米間の貿易不均衡の改善を目的(アメリカの要求)
  • 焦点は大店法(外資系小売の日本市場参入の制約緩和)

日米構造協議から始まった規制改革会議

1989年、平成元年から始まった日米構造協議に基づき、日本国内において政府主導で積極的な規制改革の動きが強まった。その推進母体となったのが1996年に設立されたオリックス会長の宮内義彦を委員長とする「規制緩和委員会」である。

これ以降、規制改革会議や規制改革推進会議などいくつも名称を変えながら規制緩和政策が一貫して取り組まれてきた。その中心は2001年に発足した小泉内閣が2002年に設立した小泉・竹中両氏を中心とした「総合規制改革会議」から2016年9月に第三次安倍内閣によって設立された「規制改革推進会議」である。

郵政民営化をはじめ観光立国政策や全農改革、働き方改革など現代社会を形作っている経済構造の土台を構築してきた政策の推進役が小泉純一郎・進次郎、安倍晋三、竹中平蔵、大田弘子、金丸恭文等の各氏である。