もう記憶は定かではありませんが、京都の広隆寺は昔、薄暗い廊下のような場所の、手が届きそうな近くに仏像が並んでいて、彼岸への途を思わせる風景でした。
あまりの優美さに画学生が弥勒菩薩に抱きつき指を折った(画学生でなく弥勒菩薩の指です)事件がありましたが、その時の画学生はどうなったのでしょうか。それほど繊細な若者なら多分大成できなかったのではないでしょうか。
今はコンクリートの宝物殿になっていますが、それでも照明は薄暗く神秘的な感じがします。堂内では帽子を取らないと注意されます。
彌勒菩薩像の前に座るところがあります。そこで私は、帽子は取りましたが足を組んで堂内をキョロキョロ見回していて注意されました。
拝むか休むかどちらかにしなさい、休むときも礼を失しない態度でと言われました。数十年前のことで忘れていましたが、久しぶりに行って思い出しました。遅まきながら失礼しました。
京都に行くと、嵐電に乗り、二度目のノーベル賞受賞も夢ではない研究成果を発表した田中耕一氏が今も勤務する◯に十の字の島津製作所の前をすぎて広隆寺に行き、そこから終点の嵐山まで乗り、混雑する大通りは避けて山の方を歩いて紅葉の下のベンチで本を読み、落柿舎から化野の方までぶらぶらして帰るコースが定番でした。
田中耕一氏の誠実な感じが好きで、何を作っているかも知らない島津製作所もきっといい会社だろうとファンになり、電車の中から島津製作所の看板が見える席に座ります。
大水と統合した京都魚市のS氏は、統合後しばらく残ったのですが、その間、出勤するだけで業務と関わることや役員の相談を受けることも禁止され、時間がくるとタクシーで帰宅する日々が続き、大して親しくもない私が行くと喜んでくれました。
帰りに嵐山に行くと言うと、タクシーに同乗させてくれてS氏は降り、私はそのまま嵐山まで乗せてもらいました。
タクシーの運転手さんがS氏のことを大変褒めていたことなど、最近のことはすぐに忘れますが昔の細かいことまで思い出しました。