卸売市場数は平成28年度末で1124市場ある。
そのうち、中央市場は64、地方市場は1060と圧倒的に地方市場が多い。
地方市場のうち行政が解説する公設市場は151、準公設(第3セクたー)市場は21である。
この数字が、2020年6月に施行される改正卸売市場法によってどのように変わるか、明らかに地方卸売市場の再編淘汰が進むだろう。
例えば昨年は次のようなケースが出ている。
山形の新庄卸売流通センターと日向青果地方卸売市場の二市場が退会した。
新庄は取扱高減少(平成29年度2億円)に伴い開設会社を解散し、新庄市が清算費用を負担し、卸売業者に市場施設を無償譲渡し民営化した。
取扱高2億円で行政主体による市場の管理運営を維持することは難しいだろう。
また宮崎県の日向青果地方卸売市場は、日向市を中心に2町2村によって平成10年に開設されたが、取扱高の減少(平成29年度3.5億円)で平成19年に青果卸売会社が経営破綻した後、JA日向や仲卸等の支援で「(株)ひまわり青果」を設立し経営を維持してきたが昨年11月末に廃場となった。
おそらく地方卸売市場は100の単位で減るだろう。
その根拠は次の点にある。
第一は「地方卸売市場」の名称を取得するためのハードルが、零細規模の市場にとっては、かなり厳しいからである。
内容は省略するが、公設、民設を通して全ての市場に義務つけられる共通ルールや開設者機能をクリアするには新しいコストが発生するが、そうしたコストを負担する余裕がない市場も多くあるからである。
第二は、実際の市場運営で、地方卸売市場の名称を使用していない民営市場も数多くある。
そうしたコスト負担に比較して「地方卸売市場」の名称を取得するメリットが実感できないことも大きな要因となるだろう。
そして第三の理由が、国の政策が全ての市場を法の網で規制・管理しようという方針から法による規制の原則廃止に転換することである。
昭和46年の卸売市場法は許可制が原則だが、実際は一定規模以上の民営市場は全て「卸売市場」としての名称を与えることで法の網をかぶせ、その結果として、全国で数千の「卸売市場」が誕生したのである。
卸売市場の減少は当然の社会環境の変化
「市場を作りすぎた」と言われることが多いが、昭和46年の現行卸売市場法制定以前は、食料品イコール米・魚・青果の生鮮食料品であった。
数千の民営市場によって全国の生鮮流通が網羅されていた。
その後、日本経済の発展とともに、道路網の整備、トラック輸送、鮮度保持技術などの技術革新と食生活の変化が進み、「食料品」は生鮮主体から変化し加工品の比重が高まった。
生鮮食料品のみで全国に数千の流通網が存在する社会的な必要性がなくなったのである。
卸売市場数の減少は、行政が卸売市場をつくりすぎたからではなく、経営者の経営努力不足のためでもない。
卸売市場が減少することは「市場流通の衰退」ではなく当然の社会的な変化である。
「申請」という自己責任
昭和46年の時は、行政が市場開設を許認可したのだが、実態は数千の民営市場を審査したわけではなく、卸売場や駐車場が一定面積あること、休みを除き毎日営業することなどいくつかの要件を持っている民営市場は全て「卸売市場」として認可した。
全ての市場を行政の管理下に置くことが法目的であった。
これに対し、改正市場法は、市場が申請して初めて認定する「自主性(自己責任)」を導入する制度である。
その申請には前に説明した細かい要件があり、「卸売市場」という名称を取得するのは、はるかに難しくなっているのである。
食料政策の大転換
改正市場法は生鮮を食品の一部として位置付ける食料政策の大転換である。
第一次産業への規制緩和・市場主義経済導入促進につづいて、行政主体による食品流通システムを、生鮮と食品を一体化することによる民間主体の食品流通効率化・市場主義経済に開放する歴史的な食料政策の転換である。
これは第一次産業が弱体化したから導入された政策ではなく、生産者から小売までのサプライチェーンマネジメント(SCM)を一層効率化することで、日本経済全体の活性化を図ろうという政策であり、市場流通が食品流通に飲み込まれるという弱肉強食の世界に入るということでもある。
しかし、生鮮市場、第一次産業は「弱者・弱肉」ではない。
第一次産業が「弱者・弱肉」で、小売やメーカー大手が強者であるなら、強者は「弱肉(利益が薄い)」に飛びかかるわけがない。
負担が大きく、強者をむしばむ「食中毒」になりかねないだろう。
SCMに関わる全ての業者にとって、生産から小売までの流通をどう押さえていくかが勝者への道である。
そして第一次産業は、勝ち残るために必要な十分「魅力的な肉」である。