卸売市場流通についての諸問題

市場流通ジャーナリスト浅沼進の記事です

春だ、京都に行こう

京都、大阪、明石に行った。
明石でタコ、タイ、穴子の定番3品セットを食べた。うまかった。タイは固くてタコは柔らかかった。

そうだ京都、行こう。確か、そのようなJRの広告があった。
私は京都より奈良が好きだ。

今年、京果を退職したK氏など親しくして頂いた方はいるが、私の知人で京都のことを褒める人は少ない。京都や京都人を嫌いな人が多い。
私もそうだ。

しかし、京都の方が便利なので、 若い頃から京都ばかり行っていた。
京都のホテルは高いので大阪のサウナに泊まって出張経費を浮かせて京都に行き、サバ寿司、おばんざいを食べ、鴨川で寝転んで本を読み、嵐山や比叡山に行った。

「京都には美味いものがない、特におばんざいは不味い」と、あるグルメ夫人に文句を言ったが「あら、お金を出せば京都には美味しいものがたくさんありますよ」とムカッとするような反論をされた。
「例えば……」とスラスラあげた料理で知っているのはサバ寿司だけだった。
河原町の「餃子の王将」がうまいと言いたかったが言えなかった。

そうした中で記憶に残っていることを二つ。
一つは君が代にある「さざれ石が巌となるまで」が実際にあることを知り、上賀茂神社に見に行ったこと。なるほどと思った。
下賀茂神社から鴨川沿いに歩いたが遠かった。

二つめは鴨川で昼寝をしながら、川中の岩にじっと立っている水鳥を見てわかったこと。
今まで、水中の魚を狙って身動きせずに水面を見ている、なんという忍耐力だと思っていたが、大いなる勘違いであることを発見した。

目の前の水中には小魚がうようよいて、子供達が網ですくっていた。
水鳥が餌を得るのは簡単である。あれは単に休んでいるだけである。
涼しく、ネコや人間などの狂暴な外敵から身を守るための最適な場所なのだろう。

人は自分の思いたいように解釈するものだ。
食の心配さへなければ、水鳥も私も共にヒマで怠惰なのだと知った。