卸売市場流通についての諸問題

市場流通ジャーナリスト浅沼進の記事です

団十郎と水神様

築地市場の解体が始まり、市場内にあった水神様も築地から引っ越した。
豊洲でも海の安全を願う祈りは同じである。

築地市場の水神様は長い歴史があるが、個人的な記憶にあるのは、12代目市川團十郎が築地魚河岸会(伊藤宏之会長)主催で毎年行われている水神祭に出席していた姿である。
元気な時はほぼ毎年、病気になってからも夫人が出席していたことを覚えている。

團十郎と魚河岸の関係は江戸時代からで、團十郎の襲名には幕を贈っていたことなどよく知られているが、そうした関係からか、昔、築地の仲卸が歌舞伎座の舞台で浄瑠璃会を開いたときに、仲卸から招待状をもらって聞きにいったことがある。

團十郎の人柄が良いことは知られているが、私も個人的な経験をした。

私は大体、1階花道の裏側、見得を切る役者のお尻しか見えない席に座るのだが、初春興行の時は手ぬぐいなど役者が舞台から投げる。当然、一等席中心で花道に来ても1等席に向かって投げる、その役者をスポットライトが当たるので後ろの席は眩しく、私も顔に手を当てて見ていたら、團十郎が気がついて、わざわざ安い席の私に向かって投げてくれた。いい人だ。

「日に3箱、鼻の上下、へその下」という江戸時代の川柳がある。

よく知られているが、これは歌舞伎と日本橋魚河岸と吉原で1日に千両箱消3箱が流通しているということだが、1両は当時の庶民が一ヶ月、生活できる金額ということで、池波正太郎が15万くらいと書いていたので今だと30万くらいだろう。もっと低いかもしれないが1両を30万円とすると、魚河岸は元旦を除き年間休み無しだったから一日3億円、一ヶ月90億円、年間にすると1000億円強の計算である。

この計算が正しいかどうか分からないが、現在の築地市場(豊洲)取扱高よりはるかに少ない。
もちろん、江戸時代は新宿、品川が郊外なのだから、魚河岸の商圏は極めて狭く、「商圏人口」としては現在の10分の1以下だろうから、市場規模としては現在より大きいと言うこともできるだろう。

しかし、取扱高は比較にならないほど増えているのだが、卸、仲卸の利益は逆に比較にならないほど少なくなっただろうと思う。

私の記憶でも仲卸の店主は店の帳場の前に座っていて、買出し人が来るとまず主人のところに挨拶し、仲卸の経営者は鷹揚に頷いていた光景を覚えている。
まさに「旦那さん」であった。

今は昔の繰り言である。